酒を造る人とは?杜氏や蔵人の歴史や仕事を徹底解説!

「酒を造る人」は誰か、どのような歴史や技術を継承して、現在の酒蔵に生かされているのか、ご存じでしょうか。

酒蔵で働く前提として、「杜氏(とうじ)」や「蔵人(くらびと)」という言葉を知るとともに、「酒を造る人」=杜氏や蔵人の歴史や仕事を理解しておくことは重要です。

今回は、酒を造る人、「杜氏」や「蔵人」の歴史や仕事についてくわしく解説します。

酒を造る人の仕事とは

まず、「酒を造る人」=「杜氏や蔵人」がどのような仕事をしているのか、理解するところからはじめましょう。

ここでは、酒を造る人の仕事とは何かについて解説します。

【酒を造る人の仕事とは】

  • 杜氏を中心に蔵人が協力して酒を仕込む
  • 麹造り、もろみ管理など専門性の高い作業を分担する
  • 米の選定から貯蔵まで一貫して酒質を管理する

杜氏を中心に蔵人が協力して酒を仕込む

杜氏を中心に、蔵人が協力して酒を仕込むプロセスは、日本酒造りの核心です。

杜氏は酒蔵の最高責任者として、全体の指揮を執り、蔵人たちを統率します。

酒造りのプロセスは、「米の準備」にはじまり、「麹造り」「酒母(もと)造り」「仕込み」「発酵」「搾り」「熟成」といった流れです。

蔵人たちは、杜氏の指示のもとで酒造りの各工程を担当します。

たとえば、麹造りを専門とする「麹屋」や、発酵を管理する「もと屋」など、各自が専門的な技術を持ち、杜氏の指揮の下、蔵人たちの協力とチームワークが、高品質な日本酒を生み出す鍵となるのです。

杜氏と蔵人たちの連携は、まさに職人技の結晶です。

麹造り、もろみ管理など専門性の高い作業を分担する

日本酒造りは、さまざまな工程がありますが、特に、「麹造り」や「もろみ管理」など、非常に専門性の高い作業が多く、各工程を分担して行うことが重要とされています。

たとえば、「麹造り」は、「麹屋(こうじや)」と呼ばれる蔵人の担当です。

「麹造り」は、蒸した米に麹菌を加えて発酵させる工程で、麹菌が米のデンプンを糖に変えることで、アルコール発酵の基礎が作られます。

温度や湿度の管理が非常に重要で、経験と技術が必要です。

他方、「もろみ管理」は、「もと屋」や「もろみ屋」と呼ばれる蔵人が担当します。

「もろみは」、酒母に蒸米、麹、水を加えて発酵させたもので、発酵が進むとアルコールと二酸化炭素が生成され、発酵温度の管理や、もろみの状態を常にチェックすることが求められるのです。

これらの作業のほかにも、多くの専門作業があり、「洗米・蒸米」は「洗米屋」、「酒母造り」は「酒母屋」、「搾り」は「搾り屋」などがそれぞれ担当します。

このように、各専門作業はそれぞれが重要であり、杜氏の指揮の下、各工程の担当者が連携し、情報を共有することで、高品質な日本酒が生まれるのです。

米の選定から貯蔵まで一貫して酒質を管理する

日本酒造りは、米の選定から貯蔵まで、一貫して酒質を管理することが非常に重要です。

たとえば、酒造りに使用する米は、食用米とは異なる特性を持った「酒米」であり、代表銘柄である「山田錦」や「五百万石」など、米の選定1つで、酒の風味や品質が大きく変わってしまうため、米の選定は非常に重要です。

「洗米・浸漬」の工程では、米の吸水率を厳密に管理し、「蒸米」では、蒸し加減を細かく調整します。

「麹造り」では、温度や湿度の管理が重要であり、「酒母造り」も、酒母の品質が発酵の進行に大きく影響するため重要です。

「仕込み」では、発酵温度の管理が、「発酵」では進行状況を常にチェックし、適切なタイミングで次の工程に移ります。

「搾り」では、搾りの方法やタイミング、「貯蔵・熟成」では、貯蔵期間や温度管理が重要です。

このように、各工程での細やかな管理と職人の技術が、高品質な日本酒を生み出す鍵となるため、醸造の全工程で、一貫して酒質を管理するのが、杜氏や蔵人のもっとも大切な役割であることを押さえておきましょう。

酒を造る人=「杜氏」は、どのような変遷を辿ってきたのでしょうか。

酒を造る人の歴史

ここでは、酒を造る人(杜氏)の歴史について解説します。

【酒を造る人の歴史】

  • 古くから「刀自(とじ)」と呼ばれる女性が酒造りを行っていた
  • 鎌倉時代・室町時代頃から酒造りが男性中心に変化した
  • 現在では伝統技術と最新設備を合わせた酒造りが主流になっている

古くから「刀自(とじ)」と呼ばれる女性が酒造りを行っていた

杜氏の歴史は非常に古く、平安時代以前にまで遡ります。

初期の日本酒造りは、女性が主に担当していました。

酒造りを行う女性たちは、「刀自(とじ)=戸主(とぬし)」と呼ばれ、家事全般を取り仕切る役割を担っていたのです。

この頃のお酒は、「口噛みの酒」という原始的な醸造法で造られていました。

その後、時を経て、酒造りは朝廷により営まれ、「造酒司(みきのつかさ)」という部署で、「酒部(さかべ)」と呼ばれる専門職が酒造りを担当しており、女性も含まれていたそうです。

鎌倉時代・室町時代頃から酒造りが男性中心に変化した

平安時代以前は、「刀自(とじ)」と呼ばれる女性や、「酒部(さかべ)」と呼ばれる国家公務員のような専門職が行っていた酒造りも、鎌倉時代・室町時代の頃になると、男性中心の酒造りへと変化していきました。

また、この時代には、酒造りの中心が朝廷から仏教寺院へと移り、僧侶たちが専門的な知識に基づいて、酒造りを行うようになったのです。

その後、民間でも、酒造りが行われるようになり、民間の醸造技術者のことを「酒師(さかし)」、酒を造り販売した店を「造り酒屋」などと呼称するようになりました。

鎌倉時代や室町時代には、都では造り酒屋が隆盛し、地方でも、現在の地酒の原型となる「他所酒(よそざけ)」など、地方色豊かな銘酒が造られていたのです。

この頃はまだ、杜氏集団という組織は形成されておらず、「麹造り」に関しても、「麹屋」(麹造りを生業とする別の業界の店)へ外部発注されていました。

現在では伝統技術と最新設備を合わせた酒造りが主流になっている

江戸時代になり、現在の杜氏制度の基盤が形成されました。

農民たちが、冬の農閑期に副収入を得るために酒造りを行うようになり、これが杜氏集団のはじまりとなったのです。

現代では、杜氏は酒蔵の最高責任者として、蔵人たちを統率しながら酒造りを行っており、伝統技術と最新設備を組み合わせた酒造りが主流になっています。

日本全国には多くの杜氏集団が存在し、それぞれが独自の伝統と技術を受け継いでいるのです。

日本各地の有名な酒を造る人たち

杜氏の歴史は、日本酒の歴史そのものと深く結びついており、地域ごとの特色や技術の違いが今もなお受け継がれています。

ここでは、日本各地の有名な酒を造る人たちをご紹介しましょう。

【日本各地の有名な酒を造る人たち】

  • 南部杜氏
  • 越後杜氏
  • 丹波杜氏
  • 能登杜氏
  • 三津杜氏
  • 山内杜氏

南部杜氏

南部杜氏(なんぶとうじ)は、日本三大杜氏の1つで、岩手県を中心に活動する杜氏集団です。

南部杜氏の歴史は非常に古く、江戸時代にその基盤が形成されました。

南部杜氏の起源は、江戸時代初期に遡り、南部藩(現在の岩手県)で酒造りが盛んになり、農民たちが冬の農閑期に副業として酒造りを行うようになったことからはじまり、次第に南部杜氏の技術が確立され、全国にその名が広がっていったのです。

南部杜氏は、厳しい寒さの中での酒造りに適した優れた技術(発酵温度の管理や麹の作り方)を有し、高品質な日本酒の生産を行ってきました。

現在でも、南部杜氏は全国各地の酒蔵で活躍しており、その技術は次世代に受け継がれています。

また、女性杜氏や若手杜氏も増えており、伝統と革新が共存する形で発展を続けているのです。

越後杜氏

越後杜氏(えちごとうじ)は、新潟県を発祥地とする日本酒を造る代表的な杜氏集団であり、日本三大杜氏の1つとしても知られています。

越後杜氏の歴史は江戸時代に遡り、宝暦4年(1754年)の「勝手造り令」以降、日本酒の製法が四季醸造から寒造りへと移行したため、冬季に農閑期を迎える越後の農民たちが出稼ぎに出るようになり、越後杜氏を形成したことが由来です。

越後杜氏も、高品質な日本酒の生産に繋がる優れた酒造技術(厳冬の中での発酵温度の管理や麹の作り方など)を有しています。

現在でも、全国各地の酒蔵で活躍する越後杜氏の技術は次世代に受け継がれ、新潟県内の100を超える蔵元のほとんどで、越後杜氏が今なお酒造りを担当しているのです。

丹波杜氏

日本三大杜氏の1つである丹波杜氏(たんばとうじ)は、兵庫県篠山市を中心に活動する杜氏集団であり、その歴史は300年以上にわたり、灘の銘酒を支えてきました。

丹波杜氏の起源は、江戸時代中期の宝暦5年(1755年)、篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったことが始まりとされ、農閑期に出稼ぎとして酒造りを行う農民たちが、丹波杜氏の基盤を築いたのです。

丹波杜氏の特徴も、厳冬における秀逸な酒造技術にあり、発酵温度の管理や麹の作り方に優れ、高品質な日本酒を生産してきました。

現在、次世代に受け継がれた全国各地の酒蔵で活躍する丹波杜氏の技術は、丹波杜氏酒造記念館などで、丹波杜氏の歴史や技術を垣間見ることが可能です。

能登杜氏

能登杜氏(のととうじ)は、石川県能登半島を発祥地とする日本酒を造る代表的な杜氏集団の1つであり、その歴史は江戸時代後期に遡り、農閑期に出稼ぎとして酒造りを行う農民たちがその基盤を築きました。

その昔、能登半島の農業環境は厳しく、農民たちは冬の間に近畿地方や他の地域へ出稼ぎに行き、酒造りを行っていたというような背景から、能登杜氏は独自の酒造技術を発展させてきたのです。

能登杜氏も、他の杜氏集団と同様、発酵温度の管理や麹の作り方に優れた技術を持ち、濃厚で華やかな味わいの日本酒を生産することで知られています。

現在でも、能登杜氏は、全国各地の酒蔵で活躍しており、その技術は次世代に受け継がれ、能登杜氏組合でも、酒造技術講習会や研修会を開催し、後継者の育成に注力しているようです。

三津杜氏

三津杜氏(みつとうじ)は、広島県東広島市安芸津町三津を発祥地とする杜氏集団で、広島杜氏の前身として知られています。

三津杜氏の歴史は、江戸時代後期から明治時代にはじまったとされ、三浦仙三郎という人物が、広島の軟水に適した醸造法を開発し、これが三津杜氏の基盤となり、広島の酒造りは大きく発展し、全国にその名を広めました。

三津杜氏の最大の特徴は、軟水を利用した醸造法で、軟水は硬水に比べてミネラル分が少なく、通常は酒造りに不向きとされていましたが、三浦仙三郎はこれを克服し、軟水でも高品質な日本酒を造る技術を確立したのです。

現在でも、三津杜氏の技術は広島杜氏として受け継がれ、全国各地の酒蔵で活躍しており、安芸津町には三津杜氏の歴史や技術を学ぶことができる施設もあります。

山内杜氏

秋田県横手市山内地区を中心に発展した杜氏集団、「山内杜氏(さんないとうじ)」の歴史は、明治末期から大正時代にかけて、秋田の酒造業が大きく発展した時期にはじまりました。

当時、農閑期に仕事が少なかった山内村の農家の人々が、冬季の出稼ぎとして酒蔵で働くようになり、次第に酒造りの技術を身につけていきました。

大正時代には、山内地区からの出稼ぎ者が300人前後いたとされ、「酒屋若勢」と呼ばれる若者たちが酒造りに従事していたとのこと。

1922年には、「山内杜氏養成組合」が設立され、杜氏の養成と技術の向上が図られました。戦後、組織は再編され、現在も山内杜氏組合として活動を続けています。

山内杜氏の伝統は、地域の酒造りに大きな影響を与え続けており、近年では若手や女性の杜氏も増え、酒文化の伝承が続いている状況です。

まとめ

ここまで、酒を造る人、「杜氏」や「蔵人」の歴史や仕事についてご紹介させていただきました。

今回の記事でご紹介したように、「杜氏」や「蔵人」には、古い歴史があり、各地域で伝統や技術を受け継ぎ、現代では、最新の技術や製法を取り入れて、高品質な日本酒を各地の酒蔵で製造しているのです。

酒蔵で働く際には、「杜氏」や「蔵人」の歴史や仕事をある程度把握しておくことが、業務をスムーズに進め、就業先で定着する上で、非常に重要となってきます。

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