日本三大杜氏とは?南部・越後・丹波の魅力を徹底解説

日本酒の伝統と技術を支える「杜氏(とうじ)」。

その中でも、特に名高いのが「日本三大杜氏」と呼ばれる「南部杜氏(なんぶとうじ)」「越後杜氏(えちごとうじ)」「丹波杜氏(たんばとうじ)」です。

これらの杜氏集団は、それぞれの地域で独自の技術と伝統を受け継ぎながら、日本酒の品質を守り続けてきました。

「南部杜氏」は岩手県、「越後杜氏」は新潟県、「丹波杜氏」は兵庫県を拠点とし、それぞれの地域の風土と結びついた酒造りを行っています。

今回は、日本三大杜氏と呼ばれている「南部杜氏」「越後杜氏」「丹波杜氏」について、歴史や特徴などをくわしく解説します。

また、日本三大杜氏以外の主要な杜氏集団についてもご紹介しましょう。

日本三大杜氏とは

「日本三大杜氏」とは、日本酒造りにおいて特に重要な役割を果たしてきた「南部杜氏」「越後杜氏」「丹波杜氏」の3つの杜氏集団を指します。

これらの杜氏集団は、それぞれの地域で独自の技術と伝統を持ち、日本酒の品質向上に大きく貢献してきました。

「南部杜氏」は、岩手県、特に石鳥谷町(いしどりやまち)で発展した日本最大規模の杜氏集団であり、江戸時代から続く長い歴史を持ち、硬水を利用したしっかりとした味わいの日本酒を造る技術で知られています。

「越後杜氏」は、新潟県を拠点とし、雪深い冬季に農閑期の農民が出稼ぎとして酒造りに従事することで発展してきた技術は「越後流」と呼ばれ、きめ細かくマイルドな味わいの日本酒を生み出すことが特徴です。

「丹波杜氏」は、兵庫県篠山市(現在の丹波篠山市)を拠点とし、特に灘五郷の酒造りに大きな影響を与え、江戸時代から続く伝統的な技術を全国各地の酒蔵に広めたことで知られています。

日本三大杜氏の歴史と成り立ち

日本三大杜氏は、どの地域でどのようにして成立したのか、歴史や成り立ちが気になるところです。

ここでは、日本三大杜氏の歴史と成り立ちについて解説します。

【日本三大杜氏の歴史と成り立ち】

  • 岩手県ではじまった南部杜氏
  • 新潟県ではじまった越後杜氏
  • 兵庫県ではじまった丹波杜氏

岩手県ではじまった南部杜氏

日本三大杜氏の1つである「南部杜氏」は、岩手県を拠点とする杜氏集団で、起源は江戸時代以前に遡ります。

当時の南部藩(現在の岩手県中部から青森県東部)では、自家醸造が行われていましたが、品質にはばらつきがありました。

1600年頃、南部藩の御用商人であった村井氏と小野氏が、大阪の伊丹で開発された大量仕込み樽の製法を南部藩に持ち込んだことにより、藩の支援を受けて本格的な酒造りがはじまったとされています。

この時期、酒造技術者は「専従杜氏」と「農民杜氏」に分かれていましたが、「専従杜氏」は上方で技術を学び、「農民杜氏」は農業の副業として酒造りを行っていたのです。

明治時代になると、石鳥谷で南部流の技術を集大成し、多くの弟子を育成した盛岡藩最後の酒司(さかじこ)であり、「近代南部杜氏の祖」としても称えられている稲村徳助などの貢献もあり、南部杜氏の技術はさらに発展していきました。

南部杜氏は、現在でも全国各地の酒蔵で活躍しており、南部杜氏協会が技術の研鑽や後継者の育成に注力したり、石鳥谷には南部杜氏伝承館や南部杜氏会館などの施設があり、技術の伝承と観光資源として活用されたりしています。

このように、南部杜氏の歴史は、地域の自然環境と人々の努力によって築かれたものであることを押さえておきましょう。

新潟県ではじまった越後杜氏

日本三大杜氏の1つ「越後杜氏」は、新潟県を拠点とする杜氏集団です。

起源は江戸時代に遡り、特に宝暦4年(1754年)の勝手造り令以降、日本酒の製法が四季醸造から寒造りへと移行したため、米の収穫が終わると冬は積雪が深く、農作業ができない越後の農民たちが、冬季の出稼ぎとして酒造りに従事するようになりました。

明治時代には、越後杜氏の技術がさらに発展し、全国各地の酒蔵で活躍するまでになり、勤勉さと技術力で評価され、多くの酒蔵で重要な役割を果たしたのです。

昭和33年(1958年)には、越後杜氏たちを束ねる近代的な組織「新潟県酒造従業員組合連合会」が正式に結成され、杜氏登録者数は900名を超え、全国各地で活躍していました。

現在でも、越後杜氏は全国各地の酒蔵で活躍し、新潟県内の多くの酒蔵でその技術が受け継がれ、新潟清酒学校などの施設で後継者の育成が行われて、伝統技術の継承に努めています。

兵庫県ではじまった丹波杜氏

「丹波杜氏」は、兵庫県篠山市(現在の丹波篠山市)を中心に発展した杜氏集団で、日本三大杜氏の1つです。

起源は、1755年に篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が大阪府池田市の大和屋本店の杜氏となったことに端を発し、丹波地方の農民たちは農閑期に「百日稼ぎ」と呼ばれる冬季の出稼ぎとして酒造りに従事していました。

江戸時代後期には、丹波杜氏は伊丹や池田で酒造りをはじめ、摂津国灘五郷(現在の神戸市灘区)で技術を開花させ、灘の銘酒「剣菱」や「男山」などの元禄期(1688~1703年)の伊丹の酒を生み出したのです。

1767年、丹波篠山の地主たちは、出稼ぎによる労働力不足を懸念し、出稼ぎを禁止する令を出しますが、農民たちはこれに反発し、一揆を起こそうとしたところ、村の代表である市原清兵衛が交渉に当たり、最終的に出稼ぎが再び許可されるようになりました。

丹波杜氏の技術は今もなお受け継がれ、多くの杜氏が全国で活躍しています。丹波篠山市には「丹波杜氏記念館」が設立され、彼らの歴史や技術を垣間見ることが可能です。

日本三大杜氏それぞれの特徴

日本三大杜氏には、それぞれの特徴があります。

ここでは、日本三大杜氏それぞれの特徴について解説します。

【日本三大杜氏それぞれの特徴】

  • 南部杜氏の特徴
  • 越後杜氏の特徴
  • 丹波杜氏の特徴

南部杜氏の特徴

南部杜氏の技術は「南部流」とも呼ばれ、以下のような特徴があります。

【南部杜氏の特徴】

  • 高度な技術〜酒造りの技術を絶えず研鑽し、品質の高い日本酒を生み出す
  • 硬水の利用〜岩手県の硬水を利用し、しっかりとした味わいと豊かな香りが特徴
  • 組織的な研修〜「南部杜氏協会」では、定期的に講習会や研修を行い、技術の向上と後継者の育成に注力

現在、南部杜氏は全国各地の酒蔵で活躍しており、特に若い杜氏や女性杜氏も増えてきています。

越後杜氏の特徴

越後杜氏の技術は「越後流」とも呼ばれ、以下の点が特徴です。

【越後杜氏の特徴】

  • 勤勉さと粘り強さ~勤勉さと粘り強さで知られ、厳しい環境でも高品質な日本酒を生み出す
  • きめ細かくマイルドな酒質~きめ細かくマイルドな味わいが特徴
  • 地域ごとの流派~新潟県内の地域ごとに三島杜氏、刈羽杜氏、頸城杜氏などの流派あり

越後杜氏の日本酒は、その品質の高さと独特の風味で多くの日本酒ファンに愛されています。

丹波杜氏の特徴

丹波杜氏の技術は「丹波流」と呼ばれ、高度な酒造技術を持ち、灘の銘酒のほとんどを造り出したことで知られています。

デカンショ節にも「灘のお酒はどなたがつくる おらが自慢の丹波杜氏(たんばとじ)」と唄われているほどです。

また、丹波杜氏は、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形を作ったことでも有名であり、地酒は、丹波杜氏なくして生まれなかったことでしょう。

丹波杜氏の歴史や技術は、日本酒の品質向上に大きく寄与しており、その影響は今も続いています。

日本三大杜氏以外の主要な杜氏集団

日本三大杜氏以外にも、全国各地に名の知られている特徴的な杜氏集団があります。

ここでは、日本三大杜氏以外の主要な杜氏集団についてご紹介しましょう。

【日本三大杜氏以外の主要な杜氏集団】

  • 能登杜氏
  • 但馬杜氏
  • 秋田杜氏
  • 広島杜氏
  • 土佐杜氏
  • 会津杜氏
  • 丹後杜氏

能登杜氏

能登杜氏(のととうじ)は、石川県能登半島を発祥とする日本酒造りの杜氏集団の1つです。

江戸時代後期にはじまり、現在も続く伝統的な酒造りの技術を持っています。

日本三大杜氏のうちの岩手県の南部杜氏、新潟県の越後杜氏の2つの杜氏集団と、石川県の能登杜氏と、兵庫県の但馬杜氏の2つの杜氏集団を加えて「日本四大杜氏」と称されるので押さえておきましょう。

能登杜氏は、濃厚で華やかな味わいの日本酒を造ることで有名です。

能登杜氏の歴史は、能登半島の厳しい自然環境の中で培われたもので、農閑期に出稼ぎに出ることで技術を磨いてきました。

彼らの技術は全国に広まり、現在も多くの酒蔵で活躍しています。

能登杜氏の代表的な杜氏には、農口尚彦氏や三盃幸一氏などがおり、彼らの手による日本酒は、国内外で高く評価されていることも特徴の1つです。

但馬杜氏

日本四大杜氏の1つとして知られる但馬杜氏(たじまとうじ)は、兵庫県北部の但馬地方を拠点とする杜氏集団です。

特に雪深い地域で、冬季の農閑期に出稼ぎとして全国各地の酒蔵で酒造りに従事してきました。

但馬杜氏は、南部杜氏や越後杜氏に次いで多くの杜氏を輩出しており、彼らの技術は、手作りの味わいを大切にしながらも、現代の酒造りにおいても重要な役割を果たしています。

秋田杜氏

秋田杜氏(あきたとうじ)は、秋田県を拠点とする杜氏集団で、特に山内村(現在の横手市山内)を中心に発展しました。

秋田杜氏は、冬季の農閑期に出稼ぎとして酒蔵で働くことで技術を磨き、伝統的な酒造りの技術を受け継いできたのです。

秋田杜氏の特徴は、厳しい自然環境の中で培われた高度な技術と、地域に根ざした酒造りの文化であり、酒造りの現場で最高責任者として蔵人を指導し、品質の高い日本酒を生み出しています。

広島杜氏

広島杜氏(ひろしまとうじ)は、広島県を拠点とする杜氏集団で、特に安芸津(あきつ)地域で発展しました。

広島杜氏は、吟醸酒の製造技術で知られ、特に「軟水醸造法」を開発した三浦仙三郎の功績が大きいとされています。

「軟水醸造法」は、広島の軟水を利用して滑らかで香り高い日本酒を造る技術で、これが広島杜氏の日本酒の特徴です。

また、昭和50年代には「YK35仕込み」という技術が生まれ、吟醸酒ブームの一翼を担いました。

広島杜氏の日本酒は、豊かな香りとふくよかな味わいが特徴で、地域ごとに異なる気候条件がその味わいに影響を与えています。

土佐杜氏

高知県を拠点とする杜氏集団である土佐杜氏(とさとうじ)は、特に土佐鶴酒造などの地元の酒蔵で活躍しており、伝統的な酒造りの技術を受け継いでいます。

土佐杜氏の特徴は、温暖な気候を活かした酒造りで、特に香り高く、フルーティーな日本酒を生み出すことが多いです。

また、土佐杜氏は、地域の特産品を活かしたリキュールの開発にも積極的で、柑橘類を使った商品なども手掛けています。

会津杜氏

福島県会津地方を拠点とする杜氏集団である会津杜氏(あいづとうじ)は、特に会津若松市周辺で活躍しており、伝統的な酒造りの技術を受け継いでいます。

会津杜氏の特徴は、厳しい自然環境の中で培われた高度な技術と、地域に根ざした酒造りの文化です。

「会津杜氏会」という組織があり、技術の研鑽や後継者の育成に力を入れています。

会津杜氏の代表的な杜氏には、鶴乃江酒造の坂井義正氏や末廣酒造の佐藤寿一氏などがおり、彼らの手による日本酒は、国内外での評価も高いです。

丹後杜氏

丹後杜氏(たんごとうじ)は、京都府北部の丹後地方を拠点とする杜氏集団であり、特に宇川地域の出稼ぎ労働者に端を発し、「宇川杜氏」とも呼ばれました。

丹後杜氏は、江戸時代に農閑期の冬に農家の男性が酒蔵で働くことで技術を磨き、全盛期には約400人が近畿や北陸地方の酒蔵で活躍していたと言われています。

彼らの技術は「丹後流」と称され、特に麹を若めに使用することで、味わいが「おっとりと甘うまく」なるのが特徴です。

まとめ

ここまで、日本三大杜氏である「南部杜氏」「越後杜氏」「丹波杜氏」の歴史や特徴、日本三大杜氏以外の主要な杜氏集団などをご紹介させていただきました。

日本三大杜氏は、独自の技術と伝統を持ち、日本酒の品質向上に大きく貢献してきました。

酒蔵で働く前提として、日本三大杜氏の歴史や特徴を知ることは、醸造現場の最高責任者である「杜氏」のことを理解するために必要なことです。

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